写真に撮られると魂が抜かれる?

写真に撮られると魂が抜かれる?

写真に撮られると魂が抜かれる?という問いが面白いので、書いています。

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」とインスタグラムに書きましたが、写真以後の複製技術の時代になって、芸術は様変わりしました。

写真に撮られると魂が抜かれる?という珍妙な問いも、それに関係しています。それまで、絵画や彫刻など、その場に行って見る一点主義の世界でした。そこに、写真が出てきました。

その時の芸術の様変わりようは、大変な激変です。写真に写ると、克明にそっくりと自分に似た映像がすぐにできあがるのです。これは、自分の分身ができたのではないかという驚きです。

写真に撮られると魂が抜かれる?という問いがあるのは、それほど、写真の記録性が優れている証でもあります。実際に、現在では、決まった時期に開帳する仏像であっても、デジタル写真に収められて、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」の既述のリンク先記事にあるアウラが削がれているのです。

写真に撮られると魂が抜かれる?と言いたいのは、それまで、ベンヤミンが言った礼拝的価値として存在した芸術作品を複製技術で展示的価値に追いやられた旧アウラ芸術でしょう。

写真が自分の分身であるように思えるから、写真に撮られると魂が抜かれる?と思うのは、これだけデジタル写真が氾濫している時代で馬鹿げていると言うのは時代の違いもあります。

今ここで、あなたそっくりの複製人間ができたらどうでしょう。写真が誕生して分身ができた時の衝撃は、そのくらいのものであった可能性もあるのです。

複製人間が当たり前の時代になった時に、複製人間が作られると魂が抜かれる?と言うのが馬鹿げたことと言われることでしょう。

写真は、克明に被写体を記録して、写真の中に永遠に被写体を凍結して時を止めることができる科学なので、魂が抜かれるどころか、写真は魂を入れた被写体のその時を永遠に存在させるものなので、魂を抜く写真とは逆のものですが。

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