日本の女性写真家のこれからと問題点

女性カメラマンのこれから

女性写真家・女性フォトグラファーについての主要な論点はいくつかありますが、今までの写真史では語られなかったことを書いています。例えば、2013年度に出版の島原学『日本写真史』(中公新書)の(上)の224頁には、石内都(いしうちみやこ)〔1947-〕の写真のことを「男性的価値観を中心としてきた日本の写真表現に対する、初めての異議申し立てとして見ることもできる」と書いていて、(下)にはやなぎみわ〔1967-〕や、長島友里枝〔1973-〕なども、男性的価値観に抵抗という路線で紹介されています。以下に続きます。


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このような意見で問題になるのは、日本人女性写真家の世界的な立ち位置です。写真はそれぞれの国の言葉を必要としない共通言語であるにも関わらず、アジアでは日本人写真家が世界的な評価を受けています。特に、2000年頃から日本人写真家の世界的評価が高まり、2003年にはアメリカのヒューストン美術館で日本写真史展が開催されています。

これは、日本の写真界がアジア圏で世界の写真史を取り入れ、非西欧・非米国文化圏で最も歴史ある写真文化を誇り、西欧と米国からの写真文化を日本で昇華させてきたことが評価されてきたからです。それでは、なぜこれが可能だったかというと、日本人写真家が優れていることもありますが、別の大きな理由もあります。G5は、日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスの先進5ヵ国で、非白人圏では日本だけでした。

その後のG7でも、非白人圏では日本だけが入っています。さらには、世界のカメラ産業は日本が突出しており、ドイツメーカーの交換レンズも日本が作っている交換レンズ技術の突出に、一眼レフは日本の独擅場です。つまり、経済的理由と、カメラ産業が世界一の状況があって、写真家が活躍できる土壌が十分にある日本だけが非白人圏で突出して欧米から評価されているのです。ここで問題になってくるのが、人種の観点です。

写真はフランスのダゲールの1839年のダゲレオタイプ(銀板写真)、イギリスのタルボットの1840年のネガ・ポジ法の原型から、アメリカで興盛になって現在に至るまで、白人的価値観が中心となって成立してきたものです。そして、写真界の男性的価値観とは白人男性的な価値観で、世界の写真動向は白人男性が主導してきたものです。

『ライフ』誌で発表していた三木淳〔1919-1992〕は来日写真家たちの雑用などをしていて、「進駐軍のような意識」『昭和写真・全仕事7 三木淳』の彼らに対応していたことも『日本写真史』には書いています。黄色人種の日本人男性も、白人中心主義できた世界の写真界では正当に評価されてこなかった歴史もあります。

この問題も考えると、日本人女性写真家の問題も複雑になります。言葉を必要としない共通言語の写真でも、アジア圏で突出して日本人写真家が世界で評価されています。これに対する反発は、日本以外のアジアの国々から将来に渡って強まっていくことになります。そして、この反発は、日本人男性写真家と日本人女性写真家の両方に向けらることになるでしょう。

世界で評価されるアジアの優れた女性写真家といえば日本人女性写真家ばかりとなると、特に、将来的には東南アジアの女性写真家から反発されることになるでしょう。東南アジアの国々も経済成長をしているので、それに伴って、写真文化が育まれていきます。日本人女性写真家は、日本国内では日本人男性が興してきた写真文化に女性的な視野を入れようとしても、写真は共通言語なので、海外の有色人種の女性写真家からは、日本人女性写真家が優遇されていると反発される存在でもあるわけです。

この有色人種の女性写真家の中では、日本人女性写真家は環境が最も恵まれているがゆえの問題という視点は、今後ますます重要になっていくでしょう。そして、日本での女性写真家への評価では、1992年から開始された写真『ひとつぼ展』の第8回では、入賞者が13人の中で12人が女性だったこともあります。こうやって女性写真家が評価されることは大切ですが、別の論点もあります。

恵まれない環境の女性への評価を上げようとなると、世界的な写真評価では、日本人女性写真家よりも、他の有色人種の女性への評価を嵩上げしてでも評価しないといけない状況にもなります。つまり、あくまで、実力で評価するようにしないと、日本人女性写真家は無理にでも他の有色女性に席を譲らないといけないでしょう。共通言語としてグローバル化した写真の宿命があります。

写真と同じ映像文化である映画は連続して長時間動く映像であることから訴えが写真より理解しやすく、日本人を含めたアジア人に露骨に人種的偏見を描写した白人圏の映画がかなりあります。写真も白人文化の歴史があって、黄色人種である日本人男性でも正当に評価されない歴史があるからといって、白人圏中心できた写真文化の是正のために、日本人男性写真家を無理に嵩上げしてでも評価するとなると、芸術作品でもある写真の質が低下するでしょう。

写真界で是正する必要がある白人中心できた写真文化で、白人男性的価値観が主で、そして、世界の女性写真家では、白人女性が大いに注目されてきました。1940年のアメリカには"WHITE LADIES ONLY"と表示した白人女性専用のトイレがあって、今でも白人文化圏では白人女性が基準になっています。白人女性には化粧の多様性が当然に認められても、アジア女性の化粧が画一的なオリエンタリズムを見ても、白人文化圏では白人女性が中心になっています。

日本人女性写真家は、他の有色人種の女性よりは突出して優遇された立ち位置で、白人女性よりは人種問題が絡んで下に位置しているというどっちつかずの状況があります。女性写真家の中で最も問題なのは白人女性が白人中心主義からの偏った恩恵で女性写真家の中で頂点に君臨してきていることで、この白人女性主義が女性写真家の中で最も是正が必要なものです。

言語芸術である文学の分野で言えば、世界的に見ても最高の文学と評価されている『源氏物語』は平安時代の日本人女性によるものなので、歴史的に見ても、芸術性が白人女性よりも劣るという根拠はどこにもないでしょう。そして、日本人女性写真家のこれからは、女性の間の格差が目立ってくるようになります。これは、タクシー業界が規制緩和して競争が激しくなり、運転手個人の実収入が減ったことも想起されます。

例えば、蜷川実花の極彩色の写真でも、「私も極彩色の写真を撮りたいし、そして、蜷川実花を超えたい」という女性写真家の思いも果たされるようなるのが、女性写真家が活躍する社会でもあります。女性写真家が増えると、女性的写真という隙間がどんどん埋められていって、埋没する女性写真家が増えてくることにもなるでしょう。

さらに問題なのは、今後は、職業写真家の特権がますます解体され、プロのカメラマンの社会的需要が下がってくることも考えられます。これは、アマチュア写真家の活躍の場がインターネットで拡大する一方、デジカメでフィルム写真の頃の技術的特権がなくなり、やがては、ドローンの自動操縦での写真や、人工知能の写真などの問題も出てきます。

人工知能(AI) ロボットと写真業界と人類の未来

そういう時代になると、世界中の男性写真家でも職業写真家としての道が険しくなるわけで、人間写真と機械写真の対決という時代が来ると思います。その未来の時代において、女性写真家の女性的視野と言われていることも、人工知能が過去の膨大な写真を分析・追跡して実行して撮影する時、女性写真家の存在はどうなるのでしょうか。

写真家としては、その写真を見る人に訴える写真の訴求力に加えて、その写真家を支持する人たちのいわゆるファンの力があります。米美知子のような女性写真家なら、人工知能写真の時代でも問題ないと思います。女性写真家のことで、ここまでの将来を見据えた動きが写真史の文献で語られたことはないですが、以上の主要な論点を短くまとめます。

  • 有色人種の女性写真家から日本人女性写真家への異議申し立て。
  • 実力評価にしないと日本人女性写真家は他の有色人種の女性写真家に無理にでも席を譲らないといけない。
  • 日本人男性写真家も白人中心主義の中で黄色人種として正当に評価されてこなかった。
  • 女性写真家の中で最も是正が必要なのは白人女性主義。
  • 女性写真家の活躍の増加は女性写真家間の格差を拡大させる。
  • 来るべき人工知能写真の時代には現代の女性写真の感性写真も人工知能が実行する。

といったことが挙げられます。

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