地震災害時に被災者が写真を求める心理とは

地震災害と写真

日本は、定期的に地震が起こっている国です。その地震の度に出てくるのが、写真の問題です。2004年の新潟県中越地震の時にも、被災者たちが求めていたのは、何よりも写真であったという報道もされました。そして、その新潟の地震が起きた時にも、写真を手に取って逃げていたのです。以下に続きます。


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地震に遭ったら、甚大な被害にあうかもしれません。そして、新潟県中越地震でも、実際に68名の犠牲者が出ています。それでも、地震が起きた瞬間に写真を手に取って逃げていた被災者たちもいたのです。命の危機を感じた災害時に、写真を求める現象はそれ以後も続いています。その写真は、家族写真はもちろん、それだけでなく記念に撮った写真たちです。

そして、甚大な被害をもたらした2011年の東日本大震災でも、津波で流された写真たちを求める被災者たちの姿がありました。そしてその避難所では、全てを失った被災者たちが損傷が激しい家族写真にすがるように集まってきて、涙を流しながら見つめる姿もあったのです。2016年に起きた熊本地震でも、家族写真を求める被災者の姿がありました。

日本では今まで繰り返し地震が起きているので、その震災の度に、家族写真を求めてがれきの中をさまよう光景は以前からずっと続いています。これがどういう意味を持つのかは、写真の存在意義を考えることでもあり、人が命の危険がある時でも求める心理にもつながっています。震災時の写真心理を見ると、写真の力は緊急時に発揮されることが分かります。

そして、被災して亡くなった遺品の中でも、写真は特別な存在になっています。写真には、大きく分けると、記録と表現の二つの側面があります。写真評論家の重森弘淹(しげもりこうえん、1926-1992)は、記念写真には護符と同じ働きがあり、物心化物にもなると言っていました。何気なく記録として撮影して残しておいた家族の記念写真でも、護符と同じような意味を持つのです。

写真撮影は、記録として被写体を写真の中に閉じ込めて、凍結させる働きをします。写真は、記録の面から見れば、被写体の一瞬の凍結です。しかし、その写真の中に凍結させたはずの被写体が、ふとしたはずみに解凍していくのです。この写真の凍結から解凍へと向かう方向性が、写真を見る時の思い出になっています。

記念写真として記録として残しておいた写真たちが、災害時に何よりも求められることさえあるのは、写真にはそこに被写体が生きた証が確かに記録され、写真の中で被写体が生きていると感じられるからです。写真は確かに、被写体の時を止めることができます。しかし、災害時の被災者たちは、時が止まったはずの写真に「今」を見ているのだと思います。「今」の時間を共有しているのです。

これを写真愛好家の視点で言うと、写真撮影は被写体の一瞬の凍結ではあっても、いざという時にRAWでその被写体は現像されて解凍されるものです。1葉の写真という数え方に書きましたが、まさにそこで書いた1葉の写真は、被写体が凍結から解凍へ向かいやすい性格を持っています。そういう1葉の写真郡を、被災者たちは求めていたのだと思います。

そして、これをもっと突き詰めると、人はなぜ写真を求めるのかという大きなテーマになっていきます。ここで書いたことで端的に言えば、人が写真を求めるのは、写真の中にある凍結した被写体を解凍させたいからで、それが思い出になっているからです。ただし、なぜ写真を求めるかは非常に大きなテーマなので、ここで書いていることで限定してそう言っています。

以上のことを考えると、緊急時に写真の力が大きく増すのは、緊急時には写真の凍結性が、解凍へと向かう時間が短くなるからではないでしょうか。それで、写真の思い出の力が増すのです。災害時に被災者たちが取ってきた写真に対する行動は、写真は写った被写体自身の別の分身になっています。

そして、その分身と思える写真は、記念写真ばかりです。写真は記念写真に始まって記念写真に終わるとさえ言えると重森弘淹が言っていました。芸術写真を撮ろうと意気込んだ作品ではなく、何気なく撮った記念写真たちこそが、災害時に写真としての力が増す現象を見れば、その通りになっています。

写真には何気ない写真にさえも、大きな力を与えることがあります。職業写真家もアマチュア写真家も、何気ない写真の大切さを改めて見直すことが、それが、写真表現にもつながっていくと思います。写真表現の深淵は、何気ない写真の中に眠っているのです。

さらに付け加えると、写真とは端的に言えば、被写体を克明に記録し、印象的に表現してきたものです。そして、目の前の断片的なことしか記録していないはずの1枚の記念写真には、その写真に写っている被写体の全体の意味を表す力があります。

被災してすでにこの世にはいない被災者の1枚の写真は断片的な記録でしかないのに、その被災者の全てを表すほどに意味を持つのです。震災時の記念写真は究極の記念写真であり、究極の記録と表現であるとも言えます。震災時の記念写真が持つ威力は、被写体を克明に記録し、印象的に表現する写真の究極の形態の1つになっています。

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