人工知能(AI) ロボットと写真業界と人類の未来

人工知能が写真業界に与える影響

人工知能(AI)が人類にどういう影響を与え、写真業界をどのように変容させるかを書いています。人工知能とカメラは非常に関連性があります。人工知能やロボット等による代替可能性の低い職業に、カメラマンが入っていました。人工知能は知能を持った機械です。人工知能は技術革新の結果の産物ですが、技術革新という用語がふさわしい代表の一つがカメラです。

銀塩一眼レフの時から常に技術革新を求めて、人間の手で操作する必要がない自動化の波の連続がカメラ史でした。フルマニュアルの機械式カメラの時点で、絵画から見ると、人の手を相当に離れていたのです。銀塩一眼レフ時代の自動化の中で、最も大きな衝撃を与えたのはミノルタのα-7000(1985)のAFのαショックです。以下に続きます。


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どうやって人間の操作から離れてAFは自動化できるのか、それを実用的なAFにできるのかという難題を最初に解決したのがα-7000でした。このAFの実用化から、カメラは本格的に機械化から電子化に向かっていったのです。そして、銀塩時代からデジタル時代に、そんなに早く変わることはないと思われていたのに、デジカメの普及は予想以上に速く、フィルムカメラをあっという間に追い越しました。

デジカメの登場、そしてその普及から考えると、人工知能が出てくるのは予想の範囲内です。写真家はその時代の先進機械と先進電子機器の技術の結晶を継ぎ込んだカメラを使ってきたのに、先進機械である人工知能は受け入れないことはできません。人工知能は写真業界にどのような影響を与えるのでしょうか。

人間による写真は不完全性がありますが、人工知能は完全性を求めます。人間の写真は自分では被写体を撮り切ったと思っても、意図しないものが写り込んでいるのです。そのこぼれ落ちたところが、写真表現になってきました。ゲームでも、相手の情報まで全部分かっているオセロなどの「完全情報ゲーム」は人工知能は得意ですが、ポーカーのような相手の情報が分からない「不完全情報ゲーム」が不得意なのが人工知能です。

人工知能は、不完全性の要素が多いほど不得意です。写真で言えば、不完全性が高い被写体ほど、不完全性が高い写真表現ほど、人工知能は不得意になります。人工知能は、数字で徹底的に計算して終了できる職業に近いほど強いです。逆に、不完全であるほど弱いです。人間と人工知能との決定的な違いは、人間には記憶や判断や理解力の揺らぎがあり、その不完全性こそが人間です。

人工知能はその揺らぎでなく、数値計算が得意です。記憶の揺らぎや判断力の揺らぎが人間の感情につながっていますが、人工知能はその感情が理解できずに、感情をシミュレーションして出た結果の感情もどきになっています。これは、忘れられる権利にも似ています。ネット上ではいつまでも記憶が残っていて定着し続けるのは、人間が水に流しても、人工知能は水に流さず徹底的に記憶することに似ています。

人工知能で長い間言われてきたことに、フレーム問題があります。フレーム問題とは、人間同士なら理解できていると思われている枠を人工知能には理解できないことです。例えば、人工知能に、ある祭りで最高の写真を撮るにはどうすればいいのかと聞いてみます。人工知能は、もし、祭りの写真で事故に合ったらとか、万一のことばかりを考える処理に手間取って、肝心の祭り写真が撮れないことです。

人工知能にとっては、それが論理的なことです。この程度の理解の人工知能に感情が理解できるのか?人間そっくりの感情が理解できる日は来ないのでは?とも言われています。人工知能はそれ単体で何かとてつもない化けもののように思われていますが、実体は人間が関わらないと上手く機能しない面があります。人工知能は、対人間の関係性が濃いほど不得意です。

女性のポートレートを撮るカメラマンは、どうやって撮っているでしょうか。単に、その女性を撮っているだけではなく、意思疎通しながら撮っています。動きを入れて、ここではこう動いてとか、さらには、カメラマンがカウンセラーのようにもなって、写真を撮っています。そして、動きを入れて撮った写真には思いがけない写真が撮れたりします。

写真は不完全性の中に美があることに加えて、カメラマンは徹底した現場主義です。風景撮影でも、そこに行かないと撮れません。カメラマンがしていることは、撮影技術という知能と現場主義という肉体労働の折衷のようなものですが、山岳写真などでは、肉体労働の面が強くなります。そして、この肉体労働も人間が持つ知能です。人工知能が写真業界で真っ先に能力を発揮するのは、RAW現像です。

RAW現像は定位置で数値で計算して、作業することができます。デジカメ時代になってフィルム用のDPE店は廃業を余儀なくされましたが、人工知能によってRAW現像の分野も同じようになるかもしれません。RAW現像よりJPEG撮影を薦める決定的理由とはに、人工知能時代にはRAW現像よりもJPEG撮影が重視されることを書いています。現場での人間側の不規則で不完全なJPEG撮影のありようが、人工知能が不得意とすることです

印刷の分野もそうでしょう。白黒写真をカラーにする人工知能はすでにいます。人工知能によって会計士の職が奪われていますが、定型で分析できるテンプレート型の職種であるほど、人工知能が入り込みやすくなります。

人工知能が写真家になるには、あらゆる現場を人間と同等に移動するためのヒューマノイド・ロボット(人間型ロボット)が必要です。人工知能と人間の最大の違いは、人工知能には人間の身体に相当するものがないことです。人工知能がカメラマンの予測不可能性や被写体との関係性や意思疎通を学んだとしても、人間写真家をサポートする助手になるには、人間型ロボットの十分すぎる技術が必要です。

写真は、ヴァルター・ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」で言ったように、絵画のような今ここにしかないというオリジナル性から解放されて、複製物でも芸術と呼ばれるようになりました。芸術の概念を一気に壊したのは写真です。そして、今では、絵画や工芸など美術品全般は写真に撮られて鑑賞されるようになっています。

この現象は、絵画の映像化です。絵画鑑賞のための写真は複製されるので、映像文化の中に絵画が入ったのです。そうやって、複製芸術が芸術の価値を下げたと言われてきた中で、その批判の只中にあった写真が人工知能と人型ロボットが撮る写真であるから芸術の価値が下がると言えるのかの問題もあります。人工知能が写真業界に与える影響は、確かに大きいです。

しかし、そもそも、写真そのものが、それまでの芸術の概念を一気に変えて、ベンヤミンが書いたように、写真が芸術にもたらした衝撃は甚大でした。人工知能が写真業界にとっての破壊者と言うのなら、写真は芸術全般にとっての破壊者だったのです。

人工知能が写真の概念を変えるのは、写真が出てきて芸術の概念を大きく変えたことより衝撃的なのでしょうか。芸術は、写真以前と写真以後では、大きく様変わりしています。今まで書いてきたことで、写真は現場主義であるから非常に精緻な人型ロボットが必要なこと、それに、写真家が行う不完全性の表現と被写体との意思疎通での関係性によるさらなる不完全性の表現がある写真行為は、人工知能が不得意な分野です。

写真はたった1枚であっても、人はその写真から想像、幻想、大きな感情を持ち、たった1枚に物語があります。この物語性が人工知能に理解できるかです。人工知能と人型ロボットが出てきても、写真家を補助する役目で、一緒に写真を撮ったりする相棒にもなると思います。人工知能との共存が当たり前になった時代の写真家の姿はそうではない時代とは様変わりしますが、写真とは光と影が交差する中での被写体との一期一会であることは全く変わらないので、それを続けていきます。

本当に人類全体に大激震が走るのは、惑星間移動から、テレポーテーションで銀河を移動、そして、宇宙から脱出することです(ミチオ・カク 超弦理論)。現在の人工知能はこれのとても小さなちっぽけな前哨戦にすぎず、天体を操作できるようになることに比べれば、人工知能は全くの予想の範囲内でしかありません。そのほんのちっぽけな前哨戦の中でも、人工知能は写真表現が不得意なので、カメラマンはそれほど恐れることもなく、相棒ができたくらいに思っていればいいと思います。

人工知能でも写真家が存在し続けるのは、写真家は動物的要素と人間的知性を兼ね備えているからで、写真家は動物的知性の配合が優れているからだと思います。電子機械が産んだ人工知能を機械的な繰り返しの知性で対抗するのではなく、動物本来の動物性で打ち消せるのがカメラマンです。人工知能時代になると、カメラマンにはさらに動物的勘が求められるようになります。

人工知能に大きな変化をもたらすディープラーニングが、どれほど写真業界に影響を与えるかが重要です。ディープラーニングで、シミュレーションの結果にすぎない感情もどきを超えて、感情に近くなれるのかです。2045年にシンギュラリティの技術的特異点のことが言われていますが、これは別の記事で書きます。

人工知能が興味深いのは、模倣が得意なことです。これで、木村伊兵衛が写真家として復活して、新しい写真を発表することになるかもしれません。そして、復活した木村伊兵衛とその時代の写真家が一緒になって写真を撮るかもしれません。人工知能時代が進んでいくと、生きた記憶である人生の記憶を残すことを個々人が選択すると、永遠の命で復活できる不老不死の時代がくるかもしれませんが、肉体そのものは滅んでいます。

人工知能で代替が難しい分野に入っているのは表現者で、不完全なありようの人間が表現する曖昧ではあるが完璧にも思えるような両面価値が写真です。人工知能はプログラム化できることに限定しているにすぎず、人間で言えば言語化できることを記憶しているにすぎないです。人の知能全体では、言語化できる知能は知能の一部分でしかないと言われているので、動物的勘や動物的嗅覚なども含めた表現者であるほど、人工知能にとっては意味が不明なものになります。

人間の知能は動物性のほうに重点があり、この動物性のために人間は生き延びてきたので、そこを重視したカメラマンなら人工知能はあまり影響はないのではと思います。先に書きましたが、肉体労働も知能なのです。人工知能が画家を模倣して新しい絵画を発表することが驚かれていても、電子機械の先端を使ってきたカメラマンは、人工知能は予想の範囲内だからうまく相棒として共存していこうという心意気でいればいいと思います。

パソコンは例え1万冊の辞書でも句読点の違いを全く違わず完全記憶できるので、記憶力はすでにパソコンに完敗です。人工知能は、このパソコンの性能を飛躍的に向上したものです。化けものと言うのなら、パソコンがすでに化けものなので、やはり、人工知能はその路線での予想の範囲内にすぎません。

一般に、人工知能で職が奪われるという声も大きいですが、これについては、人工知能の労働に税金をかけて徴収するしかないです。人工知能が勢いに乗った時代に特に必要になる職業はプログラマーで、人工知能時代以前よりも相当の数が必要になります。プログラマーは職にあぶれることはないです。サイバー戦争用にサイバー戦争要員も必要になって、深刻なハッカー対策も必要です。

人工知能時代の写真になると、人間の手から写真が離れていくことにもなります。まばたきシャッターカメラの激震と犬猫写真家の誕生に書きましたが、犬が写真を撮ることで、人間から写真が離れていく現象も起きます。人工知能に加えて、動物も写真を撮るようになり、人間以外にも写真表現する時代になっていきます。そして、写真を撮るだけでなく、写真を鑑賞する側も人工知能が担うようになった時代に、人間から写真が離れていくことによる影響や問題が大きくなっていきます。

VRのバーチャルリアリティの仮想現実と写真の未来も書いています。

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